もともとは稲作で使われる言葉で、
苗の仕上がり如何で最終的な出来の五割方が決まってしまう、ということ。苗半作。
米に限らず、野菜でもそれは同じ。
人間も10才ちょっとまでしか開発されない能力がたくさんあるとか
脳細胞も発達が止まったら最後、もう増えないで減る一方だとか
そういうことを考えても当然の話でしょう。
わたしの通っていた小学校は体育にかなり力を入れていて厳しく
(開祖の教えにまず強い身体を作ってから精神を養うのだ的な文言があったらしい)
実は運動競技のセンス・ゼロな自分にはそれがなかなか苦痛でした。
徒競争、球技、なわとび、どれも基本できないんだけど、なまじ努力しちゃうから悲しい(笑)。
なんせ成績のつけかたが完全に実力結果にもとづく評価だったので、
どんなにがんばっててもビリをとった回数で、はたまたクリアした種目の数により判定が下り、
ABC評価の成績表の中で普通にやってれば卒業まで目にすることのないはずの
DとかEをすら食らってた(笑、えなかったな流石に)。
年々、運動会は恥を晒す機会にしか思えなくなったし
校内大会ではクラスのみんなの足をひっぱることがわかっていても参加しなくちゃいけなくて
おなか痛くなって休めたらとか途中で転んで退場しちゃいたいとか
どんどんネガティブになり、泣いたし辛くて辛くて仕方がなかった。
当時は。
でも、なんか、体力はそこそこある自分。
速くないけど脚は丈夫。ひとと比べても歩くのや、立ちっぱなしには強い。
確証はないが、今になってみるとこの小学校時代に培われた部分がけっこうあるような気がする。
そしてそれは、農業するのにかなり役立っていると思う。
そもそも一切のスポーツができなかったことから自分は「体が使えない」のだと思い込んでいたのが
創造的な肉体労働という体の使い方と喜びを知ってしまって
それが農業に惹かれた大きなきっかけのひとつだという、
いわば小学校時代にコンプレックスを育んでもらった(?)がゆえのこの展開でもあったりで。
結果的にはあの辛かった時間に感謝しているし
年代的な子供の教育方針としてはやっぱり正しいんだろうなあと思う。幼年期に身体の基礎をつくることはたいせつだ。と思う。
若干悔しいけど(笑)。
けどねー
当時はやっぱり出来ない子には地獄なんだよねーー。
という途中から完全にすり替えた個人的な話でした。
<シズメ